近年、俗にパチシールやマイナーシール
と言われてるシールについて日々考えている。
当時、駄菓子屋の上から吊られた【引き物】のシール
当時の俺は幼く、ビックリマンを基準として考えていたから、その引き物シールは
あまりにもクオリティが低く、1枚20円で5枚買って、帰りに捨てるくらいのシールだった。
そして2度と引く事はない。
しかし、今になって深く掘り下げていくと、とんでもない種類やストーリーもあり、ただ単なるパチシールもあれば、世界観のあるシリーズもある。
詳しくは研究中なので、まだアレだが。
【下手絵】と呼ばれるシール
それらを最近は考察している。
当時、その絵を描いて、さらに会社であれば、上司なり誰かなりのゴーサインもあったはず。
あのクオリティで、何千枚とシールにするのを許可するのもすごい。
そう考えれば考えるほど、俺はつくづく凡人なんだなと思う。
当時は天才系画伯があふれていた。
それを、30年以上たった今、感じている。
凡人が天才のことを考えることは無理
天才が凡人のことなどを考えるまでもないというよりは、もはやそれは〝差〟ではなく、〝違い〟なんだと思う。
差なら、努力や時間や、なんやかんやで縮めれるかもしれないが、
違うと考えると、なにやっても近づくという表現すらできない。
パチシールやマイナーシールに触れることによって、天才と凡人
というテーマも出てきた。
その活動はボチボチやっていこうと思う。