メグロというバイクに乗るのは初めてのことで、しかもツインの存在は知らなかった。
なので、最近いろいろ調べている。
一般に販売された標準車は黒でメーターは小さめでフロントフェンダーに風切りも無し。
2名乗車のダブルシートが備わる。
それ故に、後々に払い下げられた車輌を黒塗りにし乗られたモノも少なくなかった。
その主な特徴としては、スピード計測の為に大型化されたメーターとそれを抱えるライトナセルも大きくなる。
乗車定員は1名なのが白バイの原則なので、その為のシートや書類箱をセットさせる荷台が備わっていた。
標準車に無いフロントフェンダーの風切り板や前後のバンパー等も備わることとなるが、払い下げの仕上げ時にその全ての面影をなくす程に徹底された車輌は少なく、何処かに名残のある車輌は多く見掛ける事となった。
↓これがうちの。メーターでかい。元白バイ
なので、最近いろいろ調べている。
↓これは昭和38年
↓以下、他サイトから抜粋。
昭和35年秋に川崎航空機工業と業務提携をされる前の開発モデルであり、結果的に最後のメグロとなってしまったのが、このスタミナKである。
ダブワンのルーツとは言っても、この車輌にも開発時に模範とした車輌は存在した。
戦後の国産車の歴史は欧米車のコピーから始まったものは多かったものの、このスタミナKの開発に当たって参考機種とされたのは英国製のBSAであったのも有名な話。
しかし、それはコピーではなく あくまでも参考にしたに過ぎないと言う。
戦後の国産車の歴史は欧米車のコピーから始まったものは多かったものの、このスタミナKの開発に当たって参考機種とされたのは英国製のBSAであったのも有名な話。
しかし、それはコピーではなく あくまでも参考にしたに過ぎないと言う。
2名乗車のダブルシートが備わる。
メグロの重量車の多くは白バイに採用され、昭和33年には新規採用の白バイは全車メグロで占めるまでになっていた。
昭和39年の東京オリンピックでもパレード車輌として連なったのもこのタイプの白バイとなった
昭和39年の東京オリンピックでもパレード車輌として連なったのもこのタイプの白バイとなった
それ故に、後々に払い下げられた車輌を黒塗りにし乗られたモノも少なくなかった。
その主な特徴としては、スピード計測の為に大型化されたメーターとそれを抱えるライトナセルも大きくなる。
乗車定員は1名なのが白バイの原則なので、その為のシートや書類箱をセットさせる荷台が備わっていた。
標準車に無いフロントフェンダーの風切り板や前後のバンパー等も備わることとなるが、払い下げの仕上げ時にその全ての面影をなくす程に徹底された車輌は少なく、何処かに名残のある車輌は多く見掛ける事となった。
↓これがうちの。メーターでかい。元白バイ
↓これが標準車
メグロ・・・
魅力的な単車ですな。
なるほど、うちのは白バイの払い下げだから、シングルシートなのか。ということは荷台を見つけないといけないなぁ。
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